GA JAPAN150 JAN-FEB/2018  建築2017/2018総括と展望

GA JAPAN150 JAN-FEB/2018
建築2017/2018総括と展望

みんな日々仕事をしていると、その分野を通じて社会の問題を透けてみていると思います。
昨年から1970年代に焦点をあてて、建築家の言説を世代ごとで勉強しています。
勉強していると社会状況もあって、建築も同様に70年代が転換点ということがわかってきます。
そして、その当時の状況をみつめると「過渡期のいま」の時代を大きな視野でとらえれ、
次の一歩をどうするか、想像の幅が広がります。

それはさておき、GAJAPANを読んでいると近年、建築展が流行し話題を呼んでいるそう。
建築を専門的に取り扱うギャラリーでなく大規模に美術館で開催する企画展が増えていて、
それは各年代ごとの主要な企画展の開催リストから読み取れてきます。
ただ、そういったことがよくわかってなかったです。
というのも、国立競技場やエンブレムでの出来事、もっと振り返ると震災直後の出来事があったから。
あの出来事は、デザインにかかわる業界への世間の捉え方が露呈された大きな出来事でした。
そう、専門家はいらないのではないか? というつきつけ。
そして、超一流の建築家はいざしらず、市井の建築家はさてどうしたら良いのか?
(ちなみに、日本では市井のものでも建築にたずさわれる土壌があり、それは先人のおかげで本当にありがたい)
あのようなショッキングな出来事で、アゲンストの状況がさらに増した中で仕事をしていると、
建築展が流行っていると冷静にとらえれなかったです。
むしろ建築展が流行っているから建築業界いいぞ!という勘違いをおこさないようにしないといけないのでややこしいです。
今後のデザイン業界への世間の良い眼差しがあるのか? 建築をつくりたいとう要請があるのか? は別の評価であろうから。

ところで、昨年のことを振り返る座談の記事について。
先日ボクが投稿した岐阜の図書館を設計された伊東豊雄さんの事務所出身の平田晃久さんの言葉が印象的。
「ある意味で、修復作業から始めなければならない我々の世代は面倒くさい世代ですが、地道にやるのが一番近道です(笑)」と。
前後の文脈がないので???という感じかもしれませんが、信用してもらい且つ必要だと思われるよう言動が求められていると捉えています。あまり正義感や正しさをふりかざしたくはないですが。

クライアントそれぞれの個別の要望に応えていくのは大前提として、それだけに終わらずにどうつくっていのか? 
たとえば、街とのかかわりかた。 また、作家性や作品性。
それがつくり手のエゴと捉われてしまわないようにするにはどうしたらよいのか?
個人的には、そういうことをひっそりと忍ばせるのでなく、クライアントに丁寧に説明して共有していく作業をしないとなと思っています。
時間は限られているので全てを話すことはできないし、伝え方を間違うとクライアントを混乱させる元になるから悩まし部分もありますが。
ただ、本質的なことを少しでも計画段階で伝えねばと思うし、完成して使用されている段階でも言葉をかけていかねばと思っています。
ということで、まずは伝え方をもっと工夫せねばです。