つくること、つくらないこと  ‐町を面白くする11人の会話

つくること、つくらないこと

つくりての方であれば、考えはさまざまだけど一度はあると思います。
もうつくらなくても良いのではないか? ということ。
ボクはいつもその疑問を抱きながらモノをつくっています。

こんなにモノがあふれているのにまだつくるの?という考えや、もうデザインなんてやりつくされてしまったのではないか?という思い。
でも一方、単純につくりたい欲求や時代に即して何か別のモノを求めたい欲求。生活していくためにつくっているということも少なからずあります。
つくることが正しいのか、つくらないことが正しいのか、どちらが正しいとは言えず両方あるのだろうけど、何かモヤモヤしています。
そのモヤモヤに対して整理するきっかけをくれたのが、本書でした。
ハードをつくっているランドスケープアーキテクトの長谷川さんとソフトをつくっているコミュニティデザイナーの山崎さんが、人と場所の間に(新しい)関係をつくっていたり、深く思考している9人の方と対話されたことがまとめられています。
2012年に発行されたもので、以前読んだものを再読しました。
どの対談も興味深いのですが、居方研究家の鈴木毅さんの対話が特に印象に残っています。
「思い思い」「居合わせる」「たたずむ」など、人の「居方」を説明する言葉をみつけなければならない。そして、その状況を生み出すための空間づくりや仕組みづくりを考えなければならない。 ということを。

ハードをつくる時に、モノとしてどうありたいかと同様に、人の居方を想像してデザインすることで良い状況、良い風景が結果として生まれそうな気がしています。
それと、つくることを(ハードをつくること)、つくらいないことを(ソフトを充実させていくこと)とした場合の具体的なソフトとは、イベントをすること、メンテナンスすること、将来のビジョンについて研究や分析をすることなどがあげれます。
よりよいモノをつくるために、つくらないことへの価値をみんなで高めていく意識が必要なんだろうと、つくる立場として思っています。 まだまだつくることに偏重だから。