大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る

■大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る
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哲学者 鷲田清一さんを中心に「可能性としての日本」について、庶民における「現代」生活の祖型が多くうまれた大正期の「言葉」にスポットをあてて、浮び上げようと試みている書物。
気にとめておきたい言葉を参照しながらまとめました。
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昇りゆく人と降りゆく人が交差する場、降りかけてまた上へと踵を返す人もその逆もまた行き交う場=階段の踊り場。それは、多彩で、同時に反撥もしあう諸「可能性」が散乱し、遊動する空間といえる。
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歴史の理解には、実際におこなわれたことのほかに、実際にそこで拒否された他の可能性も考え合わせるようにしなければ、それは一面的で不十分なものとなる。(田中美知太朗_随想「関東大震災のころ」の一文を紹介)
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関東大震災という未曾有の被災を機に起こった社会の大変貌があった大正時代。
大衆文化、消費社会、メディア社会、そして「ポピュリズム」の雛形、あるいは「現代」芸術とエンタテーメントの初期形態、さらには集住のかたちの劇的な変容や「群衆」の出現、「地方」への関心など、要するに「現代」社会の祖型がこの「大正」時代に集中して現れている。その踊り場には、さまざまの「可能性」が、一つへと収束されないまま、雑多に散乱していた。前衛の運動と娯楽の装置とが、暴動と市民運動とが、抵抗と統制とが入り交じって、この《踊り場》を埋めていた。
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今後の社会においては一つの職業で一生を貫けなくなるであろう。 それぞれの人が「職業生活」と「職業以外の生活」についての調和や配分としてのライフ・ワーク・バランスをどのようにとっていくのかという選択の問題。
そのバランスの望ましさについての感覚は、個人によっても違う、青年期や中高年期などライフステージによっても違う。
働くということが人生においてもつ意味とは何か、労働と娯楽と睡眠と家事の時間配分とその組合せ方についていかに考えるのか、そこでの夫妻や親子などの家族関係とはどうあるべきか、といった素朴だが根本的な問題ではないのだろうか。
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■天野寛志建築計画事務所 天野寛志 @amarnyo
建築・アート・風景を中心に日々の思考を記録しています
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