GW休暇

大変ご無沙汰の投稿。年始からあっという間の本日5/2から5/6までお休みさせていただきます。なかなかまとまったお休みがとれなかったので、クールダウンです。

年始当初には思いもつかない社会情勢になってしまった。いま保健所も含めて医療従事者を筆頭に依頼や対応が集中して非常に切迫しているところがある。どのくらいの切迫さかはまったく計り知れない。ただその最中にたまたま自分は落着いた日々をおくれている。それもこれもライフラインを安定的に供給してくれる方や食べ物の生産者さんや運送業の方のおかげである(その他にも想像が及ばない幾多の職業の方もあると思う)。普段の当たり前は当たり前でなく多くの人の活動によって成立しているのだと。そう思うといろいろな方に本当に感謝、感謝でしかない。

それで、社会の窮状に対していま自分はなにができるのか? 建築設計という職業を活かす役割はすぐにはやってこないので、いまある仕事を丁寧に進めることや未来の想像(例えばどんな暮らしであったらハッピーでありその環境はどんなものか)をしていくことを、改めて意識している。何かしらとりかかりがあれば別だが、正直急に新しいことはできない。準備は大事だと思うから(予定調和でなくて)。

その仕事とは別に健康管理、体調管理も改めて意識。 良質な睡眠・食事 ・運動 。 どうしても規則正しい生活にはならないのだけど、どこかで無理をしたのであればどこかで休みをとらないとなと。ついつい肉体は精神の奴隷になってしまっているのだけど、肉体が元気でないと精神も充実しないとこの歳になってくると実感する。また、身体は消耗品で一度壊れると元には戻らないということを。医療従事者が大変だからこそ、そこへの負担を減らすにはまずは医者にかからないよう心身ともに元気な状態をと思う。どんなに気をくばっていても風邪をひいてしまうことはあるけれど、予防をすることで身体を悪くする確率はさげれるはず。手洗いうがい、その行為は至極地道で地味。淡々とつみかさねていきたい。

前置きが長くなりましたが、地元のとある橋のことについて。 いま、桜が散り新芽があおあおとしている。桜が満開のころもいいけれど、この時期の並木も良い感じで癒される。しかもこの橋の手摺に腰かけてみれるのが何ともいい!! いまでは安全管理のためにおへそよりも高い位置になってしまっている手摺。でもこの昭和37年につくられた橋はいまのような何でも感でも安全にという一律なことでなくもっとゆるやかな基準でつくられている。小さなお子さんがいらっしゃる家庭では安全面は非常に気になるところだけど、景観も大事にしたいと思う。少なくとも、いまボクはこの並木に癒されているので(白い手摺のデザインがもっと配慮していたものだったらなお良かった)。

最後に、かなり出遅れ感ありますが、お休みの間に飲食店さんのテイクアウトで心を満たすぞ!